ルディが体を前に向けた。全身でスレイと向き合った。綿の入った厚い生地のガウンの横で拳を握っている。何かを抗議したそうな表情だ。
光も冷気も遮る厚さのカーテン。松の板張りの床と壁。ルディの上履きが、床をこすって、少し高い音がした。
室内は、さっきの酒を濁らせたような色だ。
氷に亀裂が入るような具合で、冴えた空気に緊張感が走る。

「駄目なのか……?」

泣きそうな顔つきで、ルディがスレイを見上げた。

「だから、駄目なのか……?だから、スレイは村の人達と一緒にいたくなかったのか……?」

長い間、デゾリス全土の命を奪って来た吹雪がやみ、陽光の恩恵を取り戻すことが出来たことを喜ぶ、ささやかな祝賀会。
種族なんて関係ない。今、ここにデゾリスという惑星に立っているもの、すべてを受け入れる祝いの宴。
それを、自分は拒否した。

「たとえ、今デゾリスを覆っていた雲が消えたとしても、今アルゴルを覆っている闇は消えた訳じゃない。お前も、感じているんだろう?ルディ。刻一刻と迫っている滅びの魔手を」

ルディの表情が翳った。
胸が痛む。ほんの、かすかにだけ。かつて古代に、この太陽系を救った少女に似たおもざしがそこにあった。兄を失い、人々の嘆きに心を痛めた優しい少女のおもざしが。

「分かってるよ」

ルディは、泣いていた。

「分かってない。分かっていたら、デゾリスの気候が正常に戻ったくらいで、あんなに手放しで喜べるもんか」

自分の中にあるルツの記憶を手繰り寄せ、スレイは自分を奮い立たせた。

「駄目なの……か?」

ルディが繰り返した。スレイは眉をしかめた。口を開こうとしたが、ルディの方が一瞬早かった。

「駄目なのか?本当の闇が払えてないからって、一日でも幸せを噛み締めたらいけないのか?たった一日でも!」
「ルディ」
「分かってるよ!でも、それじゃスレイは何の為にこの星を救いたいんだよ!」

スレイに話す暇を与えず、ルディは続けた。

「皆が、皆が悲しまない世界が見たいからだろ?」

泣きながら、言葉を続けた。

「誰かの歪んだ悪意で大事な人が死んだり……何か自然じゃないことで苦しんだり……そういう人がいなくなれば良いんだ!だからじゃないのかよ!」
「ルディ、論点がずれてるぞ」

幼稚な考え方だ。ずっと昔の……自分のすぐ目の前しか見えていなかった頃の、自分のような考え方だ。ルディが興奮するのと反比例して、スレイは自分が冷静になっていくのが分かった。

「俺は皆が幸せになるのがいけないと言ってるんじゃない。ただ、気を緩めるなと言ってるんだ。いつまた第二のガルベルクの塔が建つとも限らん。そんな時にきちんと対処出来なければ、お前、ハンター失格だぞ。」

なだめるつもりは毛頭なかった。だが、淡々と話したのが、結果、言い聞かせるような口調になった。荒くなっていたルディの呼吸は、やや落ち着いて来ていた。頬はまだ濡れていたが、涙ももう止まっているようだった。

「で、ルディ。気は済んだか?」

卓上のまだ口をつけていないグラスに目をやりながら、スレイは言った。

「……スレイは?」
「何?」

突然、自分の名前が相手の口から出たことに、わずかに驚きを覚えながら、スレイは返答した。

「スレイは、幸せじゃないの?」
「俺……?」
「スレイだって、モタビアへ来る前は、あのエスパーの館にいたんだろ。デゾリスに住んでたんだろ。その星が元に戻って、嬉しくないの?」

濡れた大きな目が、まっすぐに長身の魔道士を見つめた。反射的に顔をそむけて、スレイは、

「そりゃ……嬉しいさ」

と答えた。すぐに視線を戻すと、ルディは、泣きそうな気配を漂わせながらも笑っていた。ひどく弱々しく見えたが、確かに笑っていた。良かった、と一言漏らした。それがスレイの鼓膜に引っかかった。

「良かった?」
「うん」

ルディの瞳から、雨の気配が少し去った。ルディは白い手で、目の辺りをごしごしとこすった。

「良かった」

ガウンの袖口が涙で湿った。

「そう言えば、お前……何しに来たんだ?」

スレイは、純粋な疑問を投げかけた。ルディは豆鉄砲で撃たれた鳩のような目をして、すっかり濡れた手の甲から顔を離した。

「……忘れてたな?」

今度は、照れたように笑う。

「で、何なんだ?」

呆れた口調で言ってやると、ルディはばつが悪いといった様子で頭を掻いた。

「うん……何でもない」

「何でもないって顔じゃねえぞ。何かあるって感じの顔だ」

ルディは顔をしかめて、

「スレイに俺の何が分かるんだよ」
「単純バカの考えることが分からねえわけあるかっ」
「じゃあ、俺が何でここに来たのか、分かるのかよ!」

スレイは、顎に手をあてた。もちろん、分かるはずもない。格好がつかないので、とりあえず考えるポーズをとる。喧嘩をしに来た……では、笑い話にはなっても、正解するには難しい。
慎重に、これまでの会話の流れを反芻する。
思考回路をフル稼働させて、ようやく形だけでもそれらしい言葉にたどり着く。

「俺だけ、村人とのバカ騒ぎに付き合わなかったから、気になってたんだろ」

ルディの顔に朱が走った。

「バカはどっちだよっ!んなわけあるかっ!」
「気にするったって色々あるだろ?」
間髪を入れずに答える。ルディがこちらの術中にはまった。これなら何とか誤魔化せる。

「何だよ、いいだろ!別に!」
「お前、さっき言ったことと違うぞ」

要領を得ないルディの言葉に意地悪く笑ってやる。

「うるさいな!そうだよ!スレイが来なかったのが気になったんだよ!せっかくデゾリスが元に戻ったのに一人で部屋に篭っちゃうから、どうしたんだろうって思ったんだよっ!悪いかよ!」

握り拳に力を込めて、ルディがスレイに向き直る。ルディは迎撃の方向性を定めたらしい。諦めた、と言うのか。開き直った、と言うべきか。
憮然と唇を下弦に曲げて怒る様子がいかにも子供っぽい。


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