「ディオス様!?」
声の主は、祭壇の前に跪いていた。けれどこちらの姿を確かめて、立ち上がった。なるべく驚かせないように配慮したつもりだったが、結果的に相手は自分の来訪に意表を突かれたらしかった。

祈っていたのは、ディオスの予想通り、同じ軍に属する巫女のソフィアだった。
短い栗色の髪、飾りの少ない白い衣服。上に羽織った薄紅色のマント。
どれをとっても柔和で優しい印象を与える少女だ。

「あの・・どうして・・?」
ソフィアはかなり狼狽したようすで尋ねた。主語がない。それでもディオスは、
「それは俺のセリフだ。眠れなかったんで、ちょっと酒を引っ掛けた帰りに、聞き覚えのある声がしたんでな。時間が時間なだけに気になって、覗いてみたという訳だ」
と、答えた。
「そう・・ですか」
頷きながらも、ソフィアの仕種にはどこか緊張感が残ったままだった。
ほとんど話したことがないのだから、無理もない。それはディオスにも分かっていた。
ディオスも、反射的に教会へ入ったはいいものの、これからどうするか、どうしたらいいのか、全く思いつかなかった。基本的に先を考えず行動してしまう性格だ。 張り詰めた、とまではいかないが、ぎこちない沈黙。
それを破ったのは、意外にもソフィアのほうだった。

「私も・・眠れなくて」
両手の指を撫でながら、ゆっくりと言葉を選ぶ。
一生懸命に沈黙を埋めようとしているのが、ディオスにも伝わった。
「色々考えて、なんだかよくないほうへよくないほうへ考えが動いてしまって。こんな時はルシリス様に助けていただこうと思って・・昼間にこの辺りを通って場所は覚えていたので、思い切ってここまで来てしまいました」
「でも、祈りなら宿舎でも出来るんじゃないのか?何もわざわざ、こんな時間にこんな所まで出て来なくとも」
ディオスは、心に上った疑問を素直に口にした。それを聞いて、ソフィアが困ったような顔をしたので、しまったと思ったが、1度口にした言葉はもう消せない。少女に不快な思いをさせてしまった事実を消すことは出来ない。何とか、少女の感情を元の状態に戻すような言葉を与えたいものだが、まともに会話をするのも初めてに近い相手のこと、適当な言葉が出てこない。
視線をさまよわせて言葉を探していると、
「宿舎でお祈りをするのと、ここでお祈りをするのと・・やっぱり違うんです。私にとっては」
ぽつり、とソフィアがこぼすように言った。
ディオスは行き場のなかった目線を目の前の巫女に戻す。

「違うのか?祈りが?」
「違いますよ」
少し寂しそうにソフィアが微笑んだ。
「だって宿舎では、歩かなくてもその場で跪けばお祈り出来るんですもの」
「ああ」
「けれど、この教会でお祈りしようと思えば、私は何分かの時間と何百歩かの労力を払わなければなりません」
「ああ・・なるほど・・それだけの犠牲を払ってるってことが重要なんだな」

 言って、ディオスは再びしまったと思った。
 巫女はまた悲しそうな顔をしている。

「いや、あの・・」
相手の感情を回復させるような言葉は、そう簡単には見つからない。それこそ光の女神に祈りたいような気持ちで、ディオスは思考回路をフル回転させた。
だが生粋の軍人である。それも後方で戦略を練るよりも、最前線で直接敵と対峙するのを好むタイプの軍人である。
つまり頭脳戦は苦手なのだ。
器用な小細工は、はなから不可能だ。
そんな答えをはじき出して、結局、ディオスは正直に話すことにした。
「悪いな・・俺はどうも、こう言う、神様とかとは無縁に生きてきちまったから」
あの祝詞を聞くのが嫌いでな。そう言った時の、信心深い副将の呆れた顔が脳裏に浮かんだ。
だが、もう仕方が無い。
自分はそういう人間なのだから。
「祈りの言葉なんかも、実はよく知らねえんだ。大司祭が祈祷するような式典でも、たいがい外の警備やってたから、聞いたことなくて・・」
自分から望んで、とは流石に言えないが、事実である。
「女神の教え、なんてのもさっぱりわかんねえんだ。実際・・さっきあんたが祈ってたのを聞いたのが、初めてじゃねえかな。ちゃんと聞いたの」
途中からソフィアはうつむいていた。一抹の罪悪感が胸を刺したが、どうしようもなかった。

そうだ。
初めてきちんと聞いた、祈りの言葉。
いや・・。
引っかかるものがあった。
きちんと。
それは、語弊があるかもしれない。
あの時、ほんの数分前だが、教会の外にいた時、自分は声の主が誰かということばかりを気にして、言葉のほうは理解していなかったのではないか。
あの時、ソフィアはどんな言葉を唱えていたのか。
思い出せるかと問われれば、答えは否だ。

「あ・・ごめん。悪い。今、嘘言った、俺」
ソフィアが顔を上げる。
「ごめん。あんたの祈りも、ちゃんと・・は聞いてなかったかも、だ。すまん」
「いえ、あの・・謝られても・・」
柳眉を寄せて、困惑の表情を見せる。確かにそうだな、と言ってからディオスも同意した。
いつものことだが、言葉を表に出してから、気持ちが後からついて来る。
自分はいいが、相手には迷惑だろう。
そんなくだらない考えが、頭をよぎる。
いや、それはいい。
大切なのは、嘘をつかないこと。
もう1度、先刻の光景を頭の中に再現してみる。

夜の闇の中に浮かび上がるステンドグラスの彩り。静かに漏れてくるソフィアの祈りの声。
明確に思い出せはしない。
しかし、あの時聞こえたのは、確かに・・今までとは違う祈りの声。
どうにも表情が感じられなくて、儀礼的過ぎて嫌いだったあの大司祭の声とは違う、祈りの声。
優しい、祈りの声。

「そうだ」
ディオスは言った。


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